「みんな彗星を見ていた 指摘キリシタン探訪記」  星野博美

17世紀前後の キリシタン事情が詳細に述べられている。

16世後半に 4人の少年達が イエズス会の先導で
ローマ教王に謁見したことについて 多く語られているが
私も興味深い事柄が多く メモだけでも たくさんの量となってしまったが
後半は シリアスな キリスト教徒迫害の部分となり
かなり読みづらくなってしまったので 全部は読めなかった。
それから 作者が習っているという リュートに関しての記述も多い。


天正遣欧使節の4人の少年達は 1582年に出発し1590に帰国した。
そして 帰国後 彼らは秀吉の前で 西洋の楽器を演奏したという。
アルパ クラヴォ ラウデ(リュート) ラヴェキーニャ(小ぶりな楕円形の擦弦楽器)

リュートとマンドリンは 元は同じ楽器なのだが
リュートは生き残りをかけて進化を急いだ為に
弦を増やし 棹を伸ばしすぎ 弾きにくくなり 衰退していった。

一方マンドリンは 南イタリアの限られたエリアで進化を止め ガラパゴス化した為 生き残った。(らしい)


天正使節は 長崎~マカオ~ゴア~喜望峰まわり~リスボン のルートを取ったが
慶長使節は 石巻~太平洋横断~アカプルコーメキシコーベラクルス~キューバ という 右回りルート。
         1613~1620
         
禁教令  1614年

1597年 26聖人の殉教
       秀吉没
      家康は ジェズス(フランシスコ会 ポルトガル人)を厚遇 江戸に呼び寄せる。マニラと交流したがった。
1600年 家康の命で ジェズスはマニラへ行くが 遭難し 日本へ戻るのに1年半もかかった。
      その間に オランダ船 リーフデ号が漂着 (イギリス人航海士 ウィリアム・アダムス)

1601年 6月 ジェズス平戸へ戻る。 伏見の家康にタバコを贈る。 10月 ジェズス急死。

1602年 フィリピン総督が替わり エスパーニャとの交易を許可。 宣教師15名来日。
      家康はスペイン船が関東に寄港することを望んだが 黒潮と台風のせいで できにくかった。

1609年  9月 スペイン船 サン・フランシスコ号 御宿・岩和田で難破。
      フィリピン臨時総督 ロドリゴ・デ・ビベロ 10ヶ月滞在。 10月 江戸の秀忠に会う。
   
1610年 アダムスが造った 日本船 サン・ブエナペントゥラ号 で ロドリゴ江戸を出発。

セミナリオ  安土 有馬
        身分の高い人だけ

        1 日本語 ラテン語の読み書き
        2 古典の学問と教養
        3 他の諸化学
        音楽教育
コレジョ  イエズス会員養成



作者は 島原の乱の起こった 「原城」跡を訪れた時 車の免許を取ろうと思い立ち
五島の隠れキリシタンの里で 自動車教習所の合宿に参加して免許を取った。

興味深い読み物であったが
作者個人の記録と キリシタンの記録とが混在していて
とてつもなく活字の多い読み物であった。

ふと 司馬遼太郎の 「街道を行く」の女性版のような気がしたが
コチラの方が 専門的で 奥深い調べぶりだと思った。
司馬さんの方が 楽しいかも。。。



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「のりたまと煙突」  星野博美

作者は写真家でもある。
彼女の作品を読むのは 初めてだと思う。

「のりたま」から 私が連想したのは
ふりかけだった(笑)
表紙にネコの絵が描いてあったというのに~

小説っぽいイメージだが
エッセイだそうだ。

読みやすく肩の凝らない読み物だが
ネコの話題が軸となっているので
ネコが苦手な私には やや不向きだったかもしれない。

彼女は私より一回りも年下なのに
なぜか 年上のように感じしてしまうのは
彼女の考え方や暮らしぶりに 祖父たちの影響が
強かったせいだろうか?


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