「幕末下級武士の絵日記 その暮らしと住まいの風景を読む」  大岡敏昭

日頃から 昔の人の暮らしぶりや食生活には
とても興味があった。
その手の本を読んだこともあるけれど
堅苦しすぎたり 表現が難しかったり~と
なかなか楽しく読める作品には出会わなかったのだが。。。

この作品は
実際に江戸時代末期の下級武士によって書かれた
絵日記だし 丁寧に解説されていて 読みやすく楽しめた。
文章も実際の文章と それを現代風に書き直した物と両方載せてあるので
比較するのも楽しかった。

さて 書かれていることは 本当に今まで知りたかったことが多く
したがって かなりの長文になると思いますが…感想というより抜粋要約部分が多いと思う。

この絵日記の作者は尾崎隼之助(本書では 石城と呼んでいる)
忍藩(現在の埼玉県竹田市)に住む 十人扶持の侍だが
登城することもなく 役職があるわけでもないようだ。
江戸詰めの庄内藩士の子で 尾崎家へ養子に行ったのだが
当初は百石の中級身分だったのに 29歳の時 上書して藩政を論じたために
蟄居を申し渡され 十人扶持の下級身分に下げられたようだ。
そして妹夫婦の家に同居する独身である。

この十人扶持というのは…
十人が1年に食べる量の米を藩から支給されるということらしい。
(一人1日5合として 年間18石 今にすると 113万円位)

日記は 33歳の文久元年から2年までの記録である。

さて
まず 驚いたのは
ちっとも幕府の為に働いてないのに
毎日 あちこちの家や寺で 飲み食いさせてもらってばかりで
なんと気の良い 仲良しの世間だったのだろうということだ。

寺がたくさんあり そのうちの何寺の和尚とは
とても仲良くて ほとんど入り浸り状態のときも。。。

石城は絵の才能があったようで
寺や知り合いの掛け軸や屏風絵などを描いたりして
稼いではいたようだ。

貸本やが たくさんの本を背負って 出向いてきて
それを借り 写し取って売ったりもしている。
14冊売って 百疋(4万円)ほど
なんと! 占い業もやっている。 本見料240文(約3800円)

内風呂がある。

招かれた宴会などでは 結構豪勢な食事をしているが
家では質素な食事だったようだし (なまりふし 茄子 さしきの煮付け)
袷の着物もなかったようだ。
料亭の料理 (茶碗(蒸し) 三ツ葉 松茸 鯛 煮肴 かまぼこ よせくるミ ゆは(湯葉))

ある時は 義弟共々「閉戸」という処分を受け 家の外に出られず 雨戸も閉めたままという処遇も受けている。

皇女和宮が嫁がれる時期だったようで
知人や義弟などは その警備に刈り出されている。

髪結い料金 28孔(28文)=約440円 (安い!)
眼帯は 帽子と言っていた。

本人もよく料理している。

室内に大型犬が描かれているのでびっくり。

元中級武士だったので
まだその付き合いも続いており
たまに祝いの席などに呼ばれている。
(とりねぎ鍋 ゆとうふ すたこ したし にしめ ふりさしミ(ブリ))
濁点がほとんどないのは 面倒だからか 当時はそう発音していたのか?

宴会では 和尚と一緒に浄瑠璃をうなったりもする。

武士を 大きく二つに分けると
禄高何石~知行米を給せられる武士 知行地のその年の年貢米を貰う)
何人扶持~毎年決まった米の量→後には 足軽などと呼ばれる。

上級・中級・下級武士と呼ぶのは後世の区分で
上級 300石以上 (一千万円以上/年)
中級 100石前後(約400万)
下級 50石未満

武士の住まいは
持ち家ではなく借家(藩から無料で拝領)
中級武士 約40坪
下級武士 約30坪 5~6室 

その後
この絵日記の数年後 明治維新となる。
石城は その年に藩校培根堂の教頭となる。(良かったね!)
その後宮城県にも招かれ 46~7歳で没。

これを読んで 江戸時代が より身近に感じられるようになった。
絵が とても優しい感じで ユーモラスで
石城の性格がにじみ出ているようで 本当に楽しめた。
激動の時代にもかかわらず
江戸や京都の混乱とは別の状態の穏やかな幕末のように感じられた。
武士とは言っても 実際に藩政に関わっていないので
庶民と同じ感覚だったのだろう。







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