復刻版その3 「東方見聞録」      マルコ・ポーロ  訳・解説 長澤和俊

これも2001年の記事です。
今でもこういう系統の本には興味があります。
それにしても 今の記事に比べて なんと字数の多いこと!  ^ー^)ノ


誰もが知っている、マルコ・ポーロの「東方見聞録」。
でも、日本がジパングという名で黄金の国と記されていることくらいしか知らない。
その他の内容も、マルコ自身のことも、ほとんど知られてはいないと思う。

まず、驚いたのは、この旅の始まった頃、マルコはまだ15歳だったという事実である。
最初に、マルコの父とその弟の二人が商人としてヴェネチアを旅立ち、東方へ向かううちに、
元のフビライ・ハーンに出会い、彼の使者と共にローマ教皇の所に行き、そこで15歳のマルコ少年を連れて、
再び東方へ、元のフビライ・ハーンの下へと旅するのだった。

その旅の途中に通った国々の話や元に17年滞在し、ハーンの使節として訪れたあちこちの国の話、
そして、ジパングのように、ただうわさを聞いただけのものも含めて、たくさんの国の様子が書かれている。
だが、筆記したのは、マルコ本人ではない。マルコは42歳で本国に戻った後、海戦でジェノヴァ軍に捕らえられ、
捕虜として牢獄で暮らすうちに、ルスチケロという翻訳家と出会い、彼が、マルコの語った話を記述し、
物語の形に整えたらしい。

25年ぶりにヴェネチアに帰ったマルコと父と叔父の3人は、顔も姿もすっかり異国風に変わっていて親戚の者でも信じてくれなかったとはかわいそうだが、今と違って25年間全くの音信不通だったであろうから、無理もないことかもしれない。
つい先日、私も少女時代に知り合った方に、実に30年ぶりにお会いしたのだが、先方は私のことがわからなかったようである。ずっと日本に住んでいて、本人はちっとも変わってないつもり(いくらなんでもあつかましいという声もあり)の私でさえ、そうなのだから。

色々な国の風習とかも書かれてあり、13世紀の頃すでに、アジアと西洋間では盛んな交流がおこなわれていたことがよくわかる。日本人にとっては外国は海の向こうにしかないものだけれど、大陸に住む人々にとっては、陸続きであるという点で一種の連帯感があるのかもしれないなと思った。
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